例えば、バドミントンで高校時代に補欠でも、
急に大学から伸びて活躍する人もいます。
反対にインターハイですごい成績を残していても、
なかなかトップクラスでは成績が残せない場合も少なくないです。
今ぼくは埋もれているなぁ〜と思ってても大丈夫です。
これを読んで是非今日からのあなたと向き合ってほしいです。
今回は、色々な例えを出して話を進めていきます。
ダーウィンの進化論?
ダーウィンの進化論って聞いたことありますか?
「生き残るのは、強い種でも弱い種でもなく、環境に適応する種」
ざっくり言うとこんな内容です。
これが正しいか間違っているかは置いておきます。
学者さんじゃないので。
ただ、ダーウィンの進化論は間違いだと言う意見があって、面白いのでその異論を紹介します。
陸に上がる魚の話
大昔、我々が海の生物で、やがて陸に上がりヒトになったと仮定します。
我々の先祖は魚です。
ある若い魚は水面からしきりに顔をだしています。
退屈な海より陸の方が楽しそうだなーって思って見ているんです。
もちろんえら呼吸ですし、時々海鳥に突かれて怪我をします。
年老いた魚は
「おい若いの。我々は魚だぞ。
生き延びたければ、魚は魚らしく環境に適応しなさい」
と諫めます。
しかし若い魚の好奇心は半端ではありません。
ところがこの若い魚、
何度も何度も陸と海の境に足を運んでいるうちに、陸と海の間に位置する湿地に誤って卵を産み落としてしまいました。
若い魚は年老いた魚に大慌てで相談しました。
「だから言ったんじゃ。
魚は海の生き物だから、環境に適応してもっと深くて温かい海の底で生活をすればいいんじゃ」
お説教ばかりの年老いた魚が疎ましいという気持ちもあり、若い魚にとっては海が居心地悪いのです。
この出来事の後も相変わらず、暇があれば水面から顔をだして陸に憧れています。
さて、環境に適応している年老いた魚と、適応できずに居心地の悪さを感じている若い魚。
どちらの子孫が進化し繁栄していくでしょうか?
年老いた魚の子孫はその後何千年にわたり魚であり続けました。
生息地を更に海の底に移動し、ヒレもエラも更に大きく、ますます魚らしく変化していきました。
ところが若い魚の子孫はどうなったでしょう?
湿地で生まれた魚の子供には小さなエラとヒレがついており、彼らは成長し、産卵の時を迎えるとなぜか湿地を好みました。
その子供、そのまた子供と果てしない年月が過ぎるうちに、彼らに足のような物が生え、エラやヒレはどんどん小さくなるばかり。
遂に陸で生活する生き物へと変貌をとげました。
環境に適応したのは年老いた魚の子孫。
しかし彼らが行ったのは進化ではなく【
最適化】でした。
環境に適応出来なかった若い魚の子孫。
しかしなんと彼らこそが進化に成功したのです。
木から降りた猿の話
陸に上がって進化した猿は森に住んでいます。
ボス猿はメスに事欠かないし、餌も1番に食べられるので森の生活を気に入っています。
しかし弱い猿たちはいつもボス猿に虐められ、メスにも相手にされず、餌もみんなの後にしか食べられません。
彼らは居心地の悪い森の中ではなく、果てしなく広い平原に憧れました。
するとボス猿はいいます。
「進化したけりゃ環境に適応しな。
猿は猿らしく木の上にいてバナナを食べるんだ、こうやって俺みたいにな」
と、得意げです。
弱い猿たちは平原に降りると虎や狼に襲われる事もあり、慌てて木の上に登ってきます。
そんな折にはやはりボス猿の言う通り、環境に適応するべきだと思えてくるのですが、森の中の居心地の悪さに変わりはありません。
しかし平原に慣れてきた弱い猿たちは、落ちていた石ころから火を起こすことを学びます。
どうやら火を焚いていると他の動物が寄ってこないぞ。
道具の使い方も学びます。
自分たちより強い相手には道具だ。
火と道具を使いこなすようになり、弱い猿たちは平原に降りました。
ボス猿は草原に逃げた弱い猿たちを笑って見ていたのですが、この冬は数十年に1度の大寒波。
寒い冬に木の実がならなくなると、ついに食べ物がなくなりました。
しかし草原に降りれば虎や狼に襲われます。
「おかしい? 猿は猿らしく森の環境に適応して過ごしていたのに。進化をするのは俺のはず。こんなはずでは」
彼は結局、木の上でどんぐりを齧りながら死滅してしまいました。
哀れなボス猿。
頑張って変化しましたが、それは最適化でした。
弱い猿たちは、平原はおろか大地そのものを支配しました。
環境に適応できず、逃げ出した。
しかしその先に「進化」があったわけです。
あなたは環境に自分を適応させようとし過ぎていませんか?
いまあなたは環境に居心地の悪さを感じていますか?
進化はそんなあなたに起こるのです。
そういうお話しです。
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